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2006年3月19日 (日)

上杉先生を偲ぶ会 3/19

今日は、大学葬。

昨日に続いて、上杉先生を偲び、もう一つ逸話を記しておきたい。

先生が、教え子にどのように対していたかを数ある中のエピソードから一つだけでも書けば、先生の偉大さが分かると思うから。

当事、先生の自宅は横浜で、勤め先の大学は埼玉。研究や講義の他、執筆等をされていたので、東京・根津のマンションの一角に上杉事務所を構えていた。自宅に帰ることはほとんどなく、事務所に住んでいるような感じだった。

事務所には、いつ行ってもたいがい学生がいて何人かは泊まっていく。その事務所に泊まった1日最大人数は私が経験した中では156人だったろうか。3つのサークル顧問をされていたのでそのサークル生、ゼミ生、卒業生、…とにかく沢山の学生らが先生の周りにいた。

さらに、大学院進学希望者の現役・浪人生(今は母校にも大学院があるが当事はなかったので、他大学院を受験)の受験指導などや、心理学を英語で学ぶ会と称し、「教員就職希望者のための自主ゼミ」「公務員就職希望者のための自主ゼミ」など、3種の自主ゼミを無償で開き、学生が希望する職に採用されるよう渾身、面倒をみられていた。(私はひねくれものだから、こういう世話にはならなかったけど)

上記のような多忙な中、今回書きたい逸話は、

事務所には、ゼミ生(自主ゼミではなく、いわゆる卒論ゼミ)の中から「事務長」を選出し、身のまわりのことや、事務所に来る学生・卒業生等々の対応をやりくりさせていた。その事務長には、雇用賃金を自らのポケットマネーで毎月払っていた。

事務長は上杉先生が指名制で決めていた。指名した本人には指名した理由は絶対伝えなかった。その選別理由は、ゼミの中で経済的に厳しい貧乏学生を指名していたのだ。つまり、救済的意味合いが強いのだ。事務長など、本当は必要なかったのかもしれない。事務長という資格を与え、その学生にプライドを与えつつ、経済援助が目的だったのだろう。

ある年、大学院進学希望のS君が不合格になってしまい、そして、確かではないが父親が亡くなって、受験浪人は経済的に許されない状況で、実家(静岡県)の親族たちが戻って就職するよう強要された。

でも、どうしても学問を続けたいと思ったS君は、上杉先生に相談に行った。その相談を受けて、上杉先生の取った行動は、S君の親族を集めてもらい、その集まった静岡の実家に出向き、親族の前で、土下座をして、

「どうか、S君を1年間私に預けてくださいませんか。どのような結果になっても一切私が責任を持ちます。彼の学びたいという意欲は本物です。この一年の経済面も含め全ての責任を私が持ちますので、どうかS君を僕に預けてください。」

そうして、その年、S君は卒業生ながら上杉事務所の事務長になった。

その年の事務所には、先生の書棚の一角に一つの封筒が置かれた。その封筒にはお金が入っていた。そのお金は、ひとつのルールで使用自由だった。そのルールは、S君が外食ではなく上杉事務所内で自炊するならば自由に食費に使っていいというものだった。

先生は、時々その封筒を覗いて、残りが少なくなるとお金を充填するのだ。S君は、そのおかげで、大学院での学費等々を含む貯金をアルバイトで稼ぐことができ、受験勉強も先生が面倒みた。

S君の努力もあるが、翌年見事金沢大学大学院に合格し、学業を全うしたS君は、今、我が母校文教大学の講師をしている。

今回は、S君の例を書かせてもらったが、先生は自分の受け持った学生の一人ひとりを、本当に全力で支える素晴らしい教授だった。

先生は、享年66歳で、この世を去ってしまった。あまりにも早過ぎる。先生ご自身も無念な思いだったろう。と思う。

しかし、先生がこの世に蒔いた沢山の種は、それぞれ大きく成長し続け、先生の意志を遺伝子として受け継ぎ、これからも大輪の花を咲き続けていくことを、先生の教え子の中で、おそらく一番愚生ではありますトムとジャッキーが確信を持っています。

上杉先生、本当にお世話になりました。

今後とも、天国から私達をいつものように優しく見守っていてください。

そして、今度逢えた時には、また美味しいお酒を飲みましょう。

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コメント

連日の素晴らしい話、ありがとうございます。感銘を受けました。
よい教師とは、勿論自分の学問を究める研究の業績以上に、どれだけ生きる上での指標や方向を、どれだけ多くの学生なり生徒に示し得たかにあるのだろうと思います。

トムとジャッキーさんは、素晴らしい先生と巡り会えて幸せでしたね!この一編のエピソードは上杉先生がすぐれた教育者であったことを雄弁に語っていますよ。
先生の年齢を知ってショックでした。
いつまでもその志と教えを忘れないことが一番の供養になるのではと思いました。
ご冥福をお祈りいたします。

投稿: ぷららきた | 2006年3月19日 (日) 23時54分

ぷららきたさん。

長い文章、読んでいただき、そして「感銘を受けました」と、ありがとうございます。

上杉先生は、教育者としても偉大でした。
そして、学究の方面でも、「日本人間性心理学会」「日本イメージ心理学学会」の創設者の一人であり、著作も多数、2006年5月には『こころの問題辞典』(平凡社)が刊行される予定です。
大学葬では、研究者仲間の前東京都立大大学総長をはじめ、富山大、東京大、北陸大・・・、数多くの研究者も列席されていました。

私と仲の良い後輩(S君とは別の事務長経験者)が、今回、以下のコメントを書いていました。

上杉事務所で働いている頃、「真剣になるのは、○○君のいいところだが、時々深刻になっている。真剣になるのはいいけれど、深刻にはなるな」と、上杉さんに言われたことがあります。
この言葉は今でもずっと胸に刻んできました。

名言だと思います。(トムとジャッキー)

投稿: トムとジャッキー | 2006年3月20日 (月) 23時55分

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