« 勝手な映画評 NO.8 | トップページ | サンクト・フローリアン三重奏団公演 »

2006年4月 7日 (金)

『日本人を考える』 宮本常一

『日本人を考える』 宮本常一 著(河出書房新社)を読んだ。

2006.3.30初版発行の新刊本(単行本)だが、中身は1966年~1979年間での9名との対談を寄せ集めたもの。

宮本氏は民俗学の大家で、今でもその業績が高く評価されている方。

対談者も大物揃いで、向井潤吉(洋画家)、大宅壮一(作家)、野間宏(作家)等々。

高尚な方々なのであるが、時々危ないと言うか、セクハラ的というか、今ではヤバイ感じの対話も混じっているけれど、それぞれ卓越された方々なので含蓄のある話が多く、とても面白かった。

以下、転記文中「…」は略の意味です。

①宮本×向井潤吉(洋画家) 「私はこんな旅をしてきた」【19664.8

Mukai3 旅の話で、

宮本「お酒と絵のための旅ですか。1年になん日くらい旅にでられますか」

向井1365日、全部、旅したいですね。旅絵師という生活をやりたいんです」

宮本「わたくしは、昭和27年ですが、274日、旅をしたのが最高記録なんです」

美人の産地の話の中で、

向井「…これも、美人の産地。こうやってみると、美人系統というのがわかりますね。と同時に、それは民謡のあるところですね」

宮本「民謡と民話ですね。民話のない地帯はつまりません」

向井「ロマンスのないようなところには話もないし、歌もできないんですね」

宮本「民謡と民話のあるところは、人の心がゆたかですね」

旅についての思いに関して、

向井「わたしの旅は未知へのあこがれです。しかし、このごろの人は、旅じゃなくて旅行をやってるんですね」

宮本「旅行の行もなくなって、リョだけみたいですよ。タビを復活したいでいね」

(↑ この思いで私(トム)は、大学時代、山岳部の他に「旅研究会」にも所属していた。全く共感である!)

②宮本×大宅壮一(作家) 「“夜這い”こそ最高の結婚教育」【19689.30

前文で、

「…、長年、雨にたたかれ、陽にさらされながら、一心にものを見つづけた人だけがもつ、底抜けの明るさが、宮本さんにはある」(大宅)

宮本氏の師である渋沢敬三氏からの言葉の中に(宮本について)、

「…、約3千の村々を、汽車も利用したが足で歩いた方が多いので、…彼の学問は活字からも十分吸収されているが、一面いろいろな土地を歩き、眼で見て、耳できいたものが強くものをいっている」

島の話の中で、

Remanko2 大宅「スイスのレマン湖に浮かぶ島は、国家に功労のあった外国人にやっておりますな。この島は、ウィルソンの島、あれはドゴールの島…」

宮本「太平洋の海の底にいくつかの山がありますね。こともあろうに、アメリカ人がそこに日本の天皇の名前つけてますよ。神武だの安寧だの…」

(この項の「夜這い」に関して関心のある方もいると思うが、それは本書でご確認を、笑)

③宮本×浦山桐朗(映画監督) 「地方人意識の変貌」【19689月】

Kaibara2_1 地方の人の流動の話で、

宮本「…古い時代には地方にも立派な学者がおりましたね。…、貝原益軒という人は江戸におったんじゃないんだ。福岡にいた。一流の学者が地方にいた。それが地方に住むものに自信をもたせている」

④宮本×草柳大蔵(評論家)・臼井吉見(作家)「日本人」【19712月】

適応と変容の話の中で、

草柳「…エドガー・フォールに会ったのです。ちょうどOECDの教育使節で、ずっと東南アジアを、日本を含めて回って帰ってきたところで、どこがいちばんおもしろかったですかと聞いたら、やっぱり断然なんといっても日本がおもしろかった。…日本人をどう思うかといったら、日本人というのは非常に適応はうまいと。だけれども変容はしないというのです…、適応したからこそここまで発展してきて、そして東洋の中のヨーロッパみたいになったわけでしょう、今はアメリカだけれど。だけれども変容はしていないですよね。地縁、血縁みたいなものを重んじたり、それから日本人社会を作って、閉鎖的になったりというところはぜんぜん変容しない、本質は。…」

長くなったので、今回はここまで。

機会をみて、後半を書こうと思う。

今、出版界の中でも、「国家」、「日本」、「日本人」に関する本がブームになっている。新しく書かれたものもあるし、今回取り上げたように過去の中からそれらを探ろうとする動きも多い。(『国家の品格』藤原正彦 新潮社などはベストセラーだし…)

「日本人」のアイディンティティが言われながら、それを失いつつあり、崩れていく中に、危機感を感じているからだろう。

日本人としての「精神」が確立されていたと感じさせる古書から学ぼうという力が働いているのだろうが、学ぼうというより、一部ではあるけれどそれによって救われたい、すがりたい、というようにも見えることも、そして売れればいいという現況も感じられ、一方では悲しくなる。

もちろん、そこから真摯に学ぼうとする傾向は素晴らしいことであるし、そちらが主流だとは思う。私自身もそうありたいと思い、本書を選んだつもり。

今回取り上げた本の中にも、「農村のバランス感覚」という視点があったが、今盛んに「格差社会拡張」が叫ばれている、確かに二極化が進んでいるし、それは好ましい未来があるとは私は思わない。

「バランス」を考える時期は、もうとうに越えているようだ。早くバランスが正常な社会にしなければならない、と思う。

|

« 勝手な映画評 NO.8 | トップページ | サンクト・フローリアン三重奏団公演 »

コメント

トムとジャッキーさんもなかなか渋い本をお読みですね。宮本民俗学のファンである私もこの本はまだ読んでいませんでしたので、早速買い求めたいと思います。
以前、ひかるさんに宮本常一著「忘れられた日本人」を奨めたことがありますが、このほかに自伝的な「民俗学への道」「民俗学の旅」という優れた著書もあります。宮本民俗学は「足と耳」でかせいだ実証主義にあると思っているのです。

さて、宮本の著書には日本各地の村落(農業、漁業、林業など)の生成や、村人たちの豊かでおおらかなた生活や風習が生き生きと描かれています。
このことを皮相的に見れば、今日の経済的な繁盛の中で、現代日本人が忘れ去ってしまっている豊かな精神性といったものを際立させています。

今日のいわゆる「構造改革」なるもの、及びその主義、主張に潜む効率一辺倒の競争社会が、いみじくも、こうした古き良き日本の伝統的な村落社会や文化を「忘れられた日本」にしてしまったことを痛感しています。
宮本達が今日の日本を見れば何と言うでしょうかね!話は余計な方に逸れてしまいましたが!!

投稿: ぷららきた | 2006年4月 8日 (土) 10時05分

ぷららきたさん。

受験時期、私は「人間とは何か?」ということを解明したいという問題意識で、大学受験を捉えていました。
その時、「社会学」にしようか、「民俗学」にしようか、迷った時期があります。
若さ故と言うか!? スマートな印象(笑)の「社会学」を選びましたが(実際に入学したのは、人間科学部人間科学科社会学専攻)。

日本の今の現状、政治にしろ、経済にしろ、残虐な事件にしろ、様々な由々しき有様に、憂えています。ぷららきたさんも同じような思いがあるのでしょうね。

昔の全てを良かったとは思いませんが、失ってはいけない大切なものがどんどん失われつつある今の日本を思うと、本当に悲しいです。

投稿: トムとジャッキー | 2006年4月 9日 (日) 00時49分

そうですね。宮本の著書は他方、旧弊的な因習に囚われたり、何よりも貧しい生活に喘ぐ人々の姿を伝えています。昔は良かっ式の懐古主義には組しませんが、
彼が伝えたかったこと、遺しておきたかったは次の言葉に要約されていると思います。

「私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その道程の中で考えてきた一つは、いったい進歩ととうのは何であろうか。(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく行きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことを、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う」(民俗学の旅より抜粋)

長い引用になりましたが、彼の怜悧な眼は、歴史の片隅に忘れ去られようとしている大切なものを抽出しており、結果として、現代社会に対する深い警鐘になっているのだと思います。

投稿: ぷららきた | 2006年4月 9日 (日) 10時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 勝手な映画評 NO.8 | トップページ | サンクト・フローリアン三重奏団公演 »