2006年12月10日 (日)

■お薦め本!!

Post6 手に取って、思わず「おぅ~」と声が出そうになった本。

何の本かと言えば、「郵便局」の本。

郵便局って聞くだけで、何か地味なイメージがあるけれど、世界の郵便局、特にヨーロッパの郵便局って、とってもお洒落!

まあ、読者の中には海外旅行にたくさん行っている方も多いと思うが、自慢じゃないが(自慢してどうする、笑)、私はヨーロッパの地を踏んだことがない…(悲)

Post5 郵便局、そして郵便集配車、グッツ等々、それぞれが皆素敵なデザインでファッショナブル。ある意味、カルチャーショック的な出合いを、この本は作ってくれた。デザインというものが、どれだけ大切なものかを教えてくれる秀逸の本である。

『ポストオフィスマニア』 森井ユカ著 講談社(2006.11月)

「ポストオフィスマニアが、郵便をめぐるヨーロッパツアーへ! 封筒、ポストから有名建築まで、心躍る公共デザインの宝庫、ポストオフィス雑貨の世界へようこそ。これまでに世界各地の郵便局で集めたものも紹介します。(紹介しているポストオフィスとしてフィンランド、スウェーデン、イギリス、フランス、スイス、オランダ、中国、USA、オーストラリア)」

冒頭が、「ちょっとした身の回りの日用品に「その国らしさ」はあふれています。値段の高いものではなく、特別なお店で売っているものでもなく、それは郵便局にあるものです」

そして、最初に訪れたフィンランドの項の出だしが、

Post4 「雑誌で見た小さな写真に私の目は釘付けになりました。なんとフィンランドの郵便集配車は水玉柄だったのです。白地にオレンジとブルーの水玉が躍っている…これが本当ならば、フィンランドの郵便局は世界で一番可愛らしいに違いないと思い、郵便局をめぐる旅はフィンランドから始めることにしました」

本の装丁写真のボトルもフィンランドのもので、表柄は季節によってチェンジされる、ガラスではなくペット素材の「封筒」。こんな遊び心、楽しいなあ。

その他、鮮やかなイエローがまぶしい、スウェーデンの郵便集配車などページをめくるだけでも楽しい本だ。

デザインセンスの素晴らしさの宝庫だった。

以下、HPアドでグッツの写真なども見られるので、興味がある方は見てみてください。

http://moura.jp/lifeculture/postoffice/

そして、著者/森井ユカさんのブログもありました。 ↓

http://blog.so-net.ne.jp/yukazakka/

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2006年8月24日 (木)

『幸せの食卓』

■マエストロ チョン・ミョンフンの『幸せの食卓』 音楽之友社(2006.8.5

マエストロ チョン・ミョンフンの『幸せの食卓』 音楽之友社

著/鄭明勲(チョン・ミョンフン) 訳/金重明(キム・チュンミョン)

~ 名指揮者が語る 音楽と料理のレシピ集 ~

Book1 音楽之友社が、“料理本”を出版した。

表紙を飾るのは、調理場でフライパンを手にし、カメラ目線で笑顔のチョン・ミョンフンである。

チョン・ミョンフンは有名な指揮者だから、クラシックを好きな方はすぐ「彼」だと分かると思うが、そうではない人は「“知らないシェフ”の新しい料理本」と、まず思うかも。(笑)

指揮者とか作曲家って“料理好き”な人が割りと多い。例えば、千住真理子さんの兄、明さんも3兄妹の中では大の料理好きで知られている。それもかなりな腕前で!本人談では、ストレス解消になるらしい。

繊細かつ緻密なアーティストである彼らは、こと「料理」に関してもトコトン突詰めるというか、凝るというか、こだわるというか、極めるというか…、自分流を創り出してしまう。流石だ。

チョン・ミョンフン氏もかなりの料理好きで、そしてプロ・シェフ顔負け的腕前であることが、この本をパラパラと数ページめくるだけで分かる。食材の選び方しかり、調理法しかり、そしてもちろんメニューしかり、である。

メニューは、彼が好きだというパスタ系が多い。そして、ワイン好きでもあるようでお気に入りのワインの銘柄やワインへの思いなども書いている。

残念なのは全カラーページではなく、少しモノクロページがあり、カラーとモノクロでは料理の鮮やかさの差が歴然であること。まあこの本、2900円+税とちょっと高い値段で、オールカラーにしたら4000円くらいになってしまうのかなあ…。判断の難しいところだが、オールカラーで味わいたかった。

Book4 2002年、プロヴァンスに家と広い庭を持ち、休みには料理をし、妻が畑を耕す、そんな時間を過ごして、ここで“幸せの食卓”が展開されるようだ。この本は、成功者チョン・ミョンフンの家族人としての顔がある。家族への愛、とりわけ妻へのラブレターだ。

Book2 カラー写真で載っている料理はどれも美味しそうで、しっかりとしたレシピがある。この料理本、他の料理本と一番違う点は、レシピが記載されている右上にクラシックアルバムと彼の説明文が5行ほど端的に書かれていることだ。“1冊で2度美味しい”ということなんだろう。

その他、各章にチョン・ミョンフンの小自伝的な文章が綴られ、「人間」チョン・ミョンフンが表現され、チョン・ミョンフンのファンには、ホール舞台以外の彼の“人となり”が分かって、そういう意味では、“1冊で3度美味しい”内容になっている。

その中で、

「わたしがプロフェッショナルとアマチュアの差異をはっきりと感じたのは、ピアニストから指揮者に進路を変えたときだ。そのときわたしはプロの指揮者であると同時にアマチュアのピアニストになった。アマチュアであると思うようになって、それまで負担だった演奏も楽しむことができるようになった。もう仕事で弾くことはないと思ったからだ」

というフレーズがとても印象的だった。だからこそ彼はプロのピアニストではなく、プロ指揮者の道を歩んだのだろう。

ピアノを仕事で弾くことが楽しければ、プロのピアニストになったと言えるのかもしれない。千住真理子さんが「ヴァイオリンを奏でることが何よりも楽しい」と言っていたのを私は思い出し、やはり彼女はプロフェッショナル/ヴァイオリニストであることを嬉しく思った。

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2006年4月30日 (日)

『「日本百名山」と日本人』貧困なる精神T集

Honoda1 『「日本百名山」と日本人』貧困なる精神T集 本多勝一著(2006.4.10)<(株)金曜日> を読んだ。

大学生の時、一番なりたかった職業が「新聞記者」だった。

当事、本多氏は朝日新聞社の編集委員で「署名記事」を沢山書かれていた。特にルポ記事は彼の右に出るものはいないくらいの秀逸なペン捌きで、憧れたものだ。

Honoda2 権力・体制側へのあまりにも愚直で、ストレートな切り込みが多いため、「敵」が多く、また右翼からの脅迫を常に受けていたので、メディアに出る時は、カツラにサングラス姿で身を守っていた。(今、現在も)

私などは、軟弱そのものだから本多氏の生き様を憧れつつ(彼は優れたジャーナリストであり、冒険家でもあり、山岳にも詳しい)、自分には無理だし、合わないし、だから毒舌も軽い感じでユーモアに富むスタンスというのが目指す方向かな。

本多氏の頑固というか、実直というか、生真面目さというか、彼は「USA」つまり、アメリカ合衆国をアメリカ合州国、「州」を使うことをずっと通している。確かにそれが正しいのだけれど。他に『何でもみてやろう』の小田実氏も「合州国」派だ。 もちろん軟弱な私は「合衆国」と書く…。(笑)

彼は「英語」という表現も好まず、「アングル語(いわゆる英語)」として、「日本語」や「アイヌ語」をもっと大切にせよ! と主張している。

“文化は言語から侵略・支配される”という、ことの本質からの危惧なのだ。(本多氏自身は英語も流暢だけれど)

Honoda13本多氏は、「本物や本質」を観る力、見極める眼を備えている人なので、その視点はとても参考になる。学生時代、彼の著書が出る度にすぐ入手しむさぼり読んだ。

デンゼル・ワシントンがその役で映画化されたので、今でこそ「マルコムX」を知っている人は多いけれども、本多氏はず~と、ず~~と前から、マルコムXの偉大さを紹介していた。

前置きが、長くなってしまった…。そう、いままで前書き。(笑)

今回、このシリーズが1年半振りに出版されたので早速読んだ。

その中で、ここで取り上げたいのは、

「そこに山があるから」にまつわるエピソードである。

この件について、本多氏は20年以上前から同様のことを言っているが、今回その確たる証拠もみつけての力の入ったものだった。

山岳仲間でも、そうでなくても「そこに山があるから」、というフレーズは名言として大衆化されている。

本多氏は、本来の意味と違って広まっていることに異議を唱えている。

そして、本来の意味でこれを捉え、冒険への精神論としての機軸・根幹として思いを語る。

Honoda6 引用する。(*マロリーは有名な登山家。この時点では、チョモランマ(エベレスト)は未踏峰、誰も登頂成功していない)

「 今から82年前の『ニューヨーク=タイムズ』(1923318日)は、合州国に滞在中のジョージ=L=マロリーへの面会記事を掲載した。マロリーはイギリスのチョモランマ(俗称エベレスト)登山隊に、すでに1921年と22年の2回加わっており、この時は3回目の1924年を前にしていた。同紙はマロリーに質す、

「なぜエベレストに登りたいと思ったのですか?

これへの回答が、有名な「存在するから」(Because It’s there)であった。」

Honoda11 即ち、マロリーが答えたのは、「“それ”があるから」であって、「それ」とはチョモランマであり、より正確には「まだ誰も登頂していない世界最高峰」である。2番目以下の標高の山でもなければ、2回目以後の登頂を目指す行為でもない。<だからItと大文字で強調されているのだろう。>このことは50年前の学生時代に書いた私の論文「創造的な登山とは何か」以来しばしば強調してきた。

となると、マロリーの言葉を「山があるから」などと訳すことがどんなにひどい誤訳か理解されよう。これはもう冒涜だ。何万人目か見当もつかぬ槍や穂高に登る行為と、世界最高の未踏峰を目指す行為――この正反対の登山とを一緒くたにしているのである。この大誤解やその亜流は、有名な登山家や著述家の本にもしばしばみられる。 」

つまり、本多氏は「世界最高峰のまだ誰も踏み入れていない未踏峰に挑戦する精神・行為が尊い」と、それがマロリーの本意であって、この名言を軽く扱うな、と憤っているのである。

Honoda8 マロリーは、この名言から翌年にあたる1924年、3回目のチョモランマで遭難し死亡(享年38歳)。(死体は75年後の199951日に発見される)

本多氏は、この項を以下の言葉でまとめている。

「マロリーの言葉は決して出まかせや軽い調子で語られたものではなく、偉大な岳人による深い洞察を背景にしてこそ口にできた名言であろう」

余談になるが、マロリーの孫(ジョージ・マロリー・ジュニア)が、1995年アメリカのエベレスト遠征隊のメンバーとして、チョモランマ登頂に成功している。やっぱり、血は争えない?!

この一件を知ってから(もちろん今回ではなく、学生時)、

「トムさんは、何故山に登るの?」と聞かれたら、

「そこに、僕の好きな山があるから」

と言うことにしている。

これなら、本多さん怒らないよね?! 名言…、いや迷言かな。(笑)

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2006年4月29日 (土)

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

Haluki2 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 J.D.サリンジャー著 新訳:村上春樹(白水社)を読んだ。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』とは、あの有名な『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝訳(白水社)発刊から42年後、先月発刊された村上春樹氏の新訳版である。

『ライ麦畑でつかまえて』の原著はアメリカで1951年に刊行され、野崎氏の邦訳(250万部突破)は1964年。原書、翻訳を合わせると全世界で6000万部を超えるという、お化け本だ。

先月、村上春樹の新訳ということで話題になっていた。

実は、私は「村上春樹ワールド」が好きでない。彼の文学的世界観に違和感があることと、深い考察もなく社会派気取りの内容を取り混ぜることに反感すら覚えるからだ。

それでも(全部を読んでいるわけでもないけれど)『ノルウェーの森』以来の話題作のほとんど、『海辺のカフカ』に至るまで完読している。

つまり、彼の“文体”は「アンチ春樹的な私」でもぐいぐい引き込んで読ませる力がある。

私がアンチ春樹的なのは、もしかしたらその文体に嫉妬しているのかも知れない…。(苦笑)

そして、「再読」ということを私はあまりしない。(けして、再読に意味がないと思っているわけではない)

俗に言う「積読(つんどく)」という、目前の「未読の本の山」におののき、再読へのベクトルが小さいのだ…。

Haluki8 そんな中、遥か昔に読んだ『ライ麦畑でつかまえて』42年振りの新訳ということに、興味が湧き『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を手にしてしまった。形を変えた「再読」ということになる。

ストーリーは、「主人公ホールデン(16歳)が、成績不振や反抗的態度で、クリスマス休暇をもって高校退学を命じられ、その休暇前の土曜の午後から月曜の昼までの3日間をホールデンの語り口で綴られる」というシンプルなものだ。

このシンプルな話に、世界中の若者が飛びついたのは、その時代性もあるけれど、やはり「大人への不信」という、若者が持つ普遍的な感覚に共鳴したのだろう。

春樹訳を読みながら、野崎訳を読んでいた時に感じていたことが甦ってきた。

「小心者のいいわけ野郎」、「優柔不断な弱虫」、「ひねくれ者」…、当事の私は、共鳴ではなく「ホールデンは情けないヤツだなあ」と感じ、もっとちゃんと反抗実行しろよ!と心の中で叫んでいたのである。

大人へ擦り寄れと思っていたのではなく…、それで私は実際中学生卒業時、「考え方」を巡って父親とぶつかり勘当されたことがある(若気の至り?!)笑。

Haluki9 春樹新訳は、読みやすい。そういえば、ホールデンは彼の小説に出てくる主人公たちにどことなく似ている性格で、彼がこの作品を選んだのが分かるような気もするし、ある意味適役だったかもしれない。

『ライ麦畑でつかまえて』を読んだ若かりし時(10代の頃)は、この作品の物語はどんな話なのか、そのストーリーを追っていくことが主眼で読んでいたように思う。

今回『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいる時は、ストーリーを追うということよりも、謎多きサリンジャー氏が、「30代初めに何を考えながらこの作品を書いていたのだろう?」と作者を見つめることが主眼になっていた。

新訳本のラストに、

「本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。 訳者」

とのコメントが入っている。

J.D.サリンジャー、正式名はジェローム・ディヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger)、1919年生。

この謎に包まれた隠遁生活を続ける老齢なサリンジャー氏は、とことん頑固である。(笑)

この作品の映画化も何度となくオファーされているが、頑なに拒否している。

サリンジャー氏の娘、マーガレット A.サリンジャー女史が、『我が父サリンジャー』で、父親の謎に包まれた素顔を明らかにした回想録も出しているが、それでもなお、まだまだ謎多き不思議な作家である。

そして、村上春樹氏は今回の新訳に味をしめて次回は『フラニーとゾーイ』の新訳に取り掛かるのだろうか?

それが出たら、私はまた読んでしまうのだろうなあ…。(笑)

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2006年4月10日 (月)

『日本人を考える』 宮本常一 著 <後編>

『日本人を考える』 宮本常一 著(河出書房新社)、06.4.7に書いた続きを書く。(2006.3.30初版発行の新刊本(単行本)だが、中身は1966年~1979年間での9名との対談を寄せ集めたもの)

以下、転記文中「…」は略の意味です。

⑤宮本×速水融(歴史学者) 「庶民の生活と文化」【19767月 / 777月】

Masumi のどかな農村の生活の話で、

宮本「… 国文学者の菅江真澄という人がいる。この人は三河の国を天明3年に出て、東北、北海道を歩いて、最後は文政12年に秋田で亡くなった。この人かどうしてあれだけ長いたびをすることができたかというと、彼は和歌を作っておって、行った先でいろいろな人たちと和歌のやりとりをした。そういう人たちを見ますと、武士がほとんといないわけです。これは非常に大事なことなんですが、日本の文化は、漢字文化と仮名文化とのあいだに、ちゃんと境があった。漢字文化は武士が持っておった。けれども、民衆は仮名文化を持っておった。そういう人たちが町に住んでいて、例えば真澄が歩いて行った信濃飯田とか、本洗馬とか、松本とかで、一年くらい生活しております。… みんな知識をほしがっているわけだから、こちらが持っている知識が相手に必要なものである限りは、食うのに困ることはないわけですね。

そういう点をたどって長い旅をする。それが平仮名文化の特色みたいなものじゃないか。そういう人たちの層を巧みにたどりながら歩いて行っている」

宮本「… 泉光院の場合には、もう一歩民衆に近づいている」

速水「泉光院のつき合ったのは、知識グループではなくて、本当の庶民だったわけですね」

宮本「… そういう人たちのあいだには俳句があるんですね。和歌の層の下に、もう一つ俳句層がある。 …」

Kasutera 魚と鶏の中で、

速水「江戸時代の文書を読んでいますと、食べるものとしてよく出てくるものに、卵焼きがあって、これが案外食べられているように思うんですけれども」

宮本「ニワトリは、とにかく時間を知るために、みんな飼いましたからね。… 1年か2年のあいだはちゃんと啼いていてくれるんですが、3年くらい経つと、時を告げなくなる。そうすると、それを大抵、お宮の森へ持っていって捨てたものなんです」

速水「食べないんですか」

宮本「食べないんです。ですから、明治の中頃までは、少し大きい森を持ったお宮さんだったら、ニワトリがすごいほどおったんですね」

速水「その卵は、なまで食べるのですか」

宮本「いえいえ。たいてい卵焼きにしていますね。ただ、卵を生産して、それを商品にするためにニワトリを飼ったのは九州の西のほうで、これは江戸時代のかなり早くからある。それが実は、長崎のカステラの原料になった」

短歌や俳句で旅をしてそれで食べられる社会というのは、文化的に豊かなのでは、と思った。

でも、ここで長崎のカステラが出てくるなんて、予想もしなかったな。(笑)

⑥宮本×野間宏(作家)・安岡章太郎(作家) 「逃げ場のない差別のひだ」【19774.29,5.6 7711月】

※ このメンバーだから、差別問題、特に婚姻関係などを掘り下げているが、長くて書ききれないので、興味がある方は本書を!

筋が悪いということ、の中で、

宮本「… いまの墓聖だと言われている村は、明治の終わりごろまではほとんど灰を買うて歩いておった。肥料にする灰です。一番灰がたくさんできるところが火葬場です。つまり人を焼いて灰をかき出す。それを買うて歩くんです。」

火葬場の灰を肥料にしていたというのは、ちょっとビックリ。まあ、合理的・効率的といえば言えないこともないけれど…。何か、肉骨粉の狂牛病を思い出してしまった…。それも「牛」でなくて、「人」だからなあ…。

人と人との接触から…、の中で、

安岡「ぼくは三角寛さんの『山窩社会の研究』というのを読んだら、土佐にはサンカがいないことになっている」

宮本「おるんですよ」

安岡「やっぱり。足で調べないとだめなんだなあ。… 」

Nomugi 安岡「近代資本の暴力には、今後どうなるかわからんようなとこがある。人間を買うというような、『女工哀史』のような悲劇はなくなったかもしれないけれど、近代資本の暴力は、人間の内部をむしばんでくる。それが今後どうなるかは計りしれない」

安岡さんが憂えている事柄が、発言の30年後の今、現実的になっているのではないだろうか?

このままでは…。 でも、諦めることなく、しっかり現実を見つめ、一人の社会人としてやるべきことをしていこうと思うこの頃である。

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2006年4月 7日 (金)

『日本人を考える』 宮本常一

『日本人を考える』 宮本常一 著(河出書房新社)を読んだ。

2006.3.30初版発行の新刊本(単行本)だが、中身は1966年~1979年間での9名との対談を寄せ集めたもの。

宮本氏は民俗学の大家で、今でもその業績が高く評価されている方。

対談者も大物揃いで、向井潤吉(洋画家)、大宅壮一(作家)、野間宏(作家)等々。

高尚な方々なのであるが、時々危ないと言うか、セクハラ的というか、今ではヤバイ感じの対話も混じっているけれど、それぞれ卓越された方々なので含蓄のある話が多く、とても面白かった。

以下、転記文中「…」は略の意味です。

①宮本×向井潤吉(洋画家) 「私はこんな旅をしてきた」【19664.8

Mukai3 旅の話で、

宮本「お酒と絵のための旅ですか。1年になん日くらい旅にでられますか」

向井1365日、全部、旅したいですね。旅絵師という生活をやりたいんです」

宮本「わたくしは、昭和27年ですが、274日、旅をしたのが最高記録なんです」

美人の産地の話の中で、

向井「…これも、美人の産地。こうやってみると、美人系統というのがわかりますね。と同時に、それは民謡のあるところですね」

宮本「民謡と民話ですね。民話のない地帯はつまりません」

向井「ロマンスのないようなところには話もないし、歌もできないんですね」

宮本「民謡と民話のあるところは、人の心がゆたかですね」

旅についての思いに関して、

向井「わたしの旅は未知へのあこがれです。しかし、このごろの人は、旅じゃなくて旅行をやってるんですね」

宮本「旅行の行もなくなって、リョだけみたいですよ。タビを復活したいでいね」

(↑ この思いで私(トム)は、大学時代、山岳部の他に「旅研究会」にも所属していた。全く共感である!)

②宮本×大宅壮一(作家) 「“夜這い”こそ最高の結婚教育」【19689.30

前文で、

「…、長年、雨にたたかれ、陽にさらされながら、一心にものを見つづけた人だけがもつ、底抜けの明るさが、宮本さんにはある」(大宅)

宮本氏の師である渋沢敬三氏からの言葉の中に(宮本について)、

「…、約3千の村々を、汽車も利用したが足で歩いた方が多いので、…彼の学問は活字からも十分吸収されているが、一面いろいろな土地を歩き、眼で見て、耳できいたものが強くものをいっている」

島の話の中で、

Remanko2 大宅「スイスのレマン湖に浮かぶ島は、国家に功労のあった外国人にやっておりますな。この島は、ウィルソンの島、あれはドゴールの島…」

宮本「太平洋の海の底にいくつかの山がありますね。こともあろうに、アメリカ人がそこに日本の天皇の名前つけてますよ。神武だの安寧だの…」

(この項の「夜這い」に関して関心のある方もいると思うが、それは本書でご確認を、笑)

③宮本×浦山桐朗(映画監督) 「地方人意識の変貌」【19689月】

Kaibara2_1 地方の人の流動の話で、

宮本「…古い時代には地方にも立派な学者がおりましたね。…、貝原益軒という人は江戸におったんじゃないんだ。福岡にいた。一流の学者が地方にいた。それが地方に住むものに自信をもたせている」

④宮本×草柳大蔵(評論家)・臼井吉見(作家)「日本人」【19712月】

適応と変容の話の中で、

草柳「…エドガー・フォールに会ったのです。ちょうどOECDの教育使節で、ずっと東南アジアを、日本を含めて回って帰ってきたところで、どこがいちばんおもしろかったですかと聞いたら、やっぱり断然なんといっても日本がおもしろかった。…日本人をどう思うかといったら、日本人というのは非常に適応はうまいと。だけれども変容はしないというのです…、適応したからこそここまで発展してきて、そして東洋の中のヨーロッパみたいになったわけでしょう、今はアメリカだけれど。だけれども変容はしていないですよね。地縁、血縁みたいなものを重んじたり、それから日本人社会を作って、閉鎖的になったりというところはぜんぜん変容しない、本質は。…」

長くなったので、今回はここまで。

機会をみて、後半を書こうと思う。

今、出版界の中でも、「国家」、「日本」、「日本人」に関する本がブームになっている。新しく書かれたものもあるし、今回取り上げたように過去の中からそれらを探ろうとする動きも多い。(『国家の品格』藤原正彦 新潮社などはベストセラーだし…)

「日本人」のアイディンティティが言われながら、それを失いつつあり、崩れていく中に、危機感を感じているからだろう。

日本人としての「精神」が確立されていたと感じさせる古書から学ぼうという力が働いているのだろうが、学ぼうというより、一部ではあるけれどそれによって救われたい、すがりたい、というようにも見えることも、そして売れればいいという現況も感じられ、一方では悲しくなる。

もちろん、そこから真摯に学ぼうとする傾向は素晴らしいことであるし、そちらが主流だとは思う。私自身もそうありたいと思い、本書を選んだつもり。

今回取り上げた本の中にも、「農村のバランス感覚」という視点があったが、今盛んに「格差社会拡張」が叫ばれている、確かに二極化が進んでいるし、それは好ましい未来があるとは私は思わない。

「バランス」を考える時期は、もうとうに越えているようだ。早くバランスが正常な社会にしなければならない、と思う。

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2006年3月26日 (日)

奇人になりたい!?

enku-2 今日読んだ本で興味深く、面白かったことを少し書きたい。

書名は、『梅原猛の授業 仏になろう』 朝日新聞社

この本の全体のことは機会があれば、またその時に書こうと思う。

面白かったのが、最後の章「円空の語るもの」。

その中に(各抜粋)、

「…彼(円空)は生涯で12万体の仏像をつくったというんですね。それらは明治始めの廃仏毀釈で大きな打撃を受けて、多くの仏像が失われました。…略…

 円空は、仏像を芸術品としてつくったのではありません。売るためでもないし、芸術家として有名になりたいためでもありません。

円空は人を救うために仏像をつくりました。池の怪物を鎮めるために、千体の仏を池に沈めたという話もあります。また、ぼろぼろの朽ちた木を仏にするために仏像をつくったともいわれます。芸術というものは、本当はそういうものなのです。芸術は人を救うためにあるものです。」

「…どういうわけか、円空を研究するのは民間の学者ばかりで、アカデミズムには円空の研究者はほとんどいません。ほかの仏師について研究者はいくらもあるんですよ。…略…

ところが、外国で展覧会をやると、円空がいちばん人気があるんです。この間、フランスの前衛彫刻家に会ったら、『私は円空に嫉妬を感じた』と言うんです。彼は円空を現代の彫刻家だったと思っていたらしい。後に400年近く昔の人だと聞いてびっくりしたと言うんです。

現代の作家に嫉妬を感じさせるような芸術家は円空以外には、日本にいない。定朝や運慶や快慶の彫刻がどんなに素晴らしくても、それを見て嫉妬を感じる人はいない。」

enku-4 「それはなぜか。定朝や運慶、快慶は時の権力者に認められて、彼らの要請によって仏像をつくった。だから、中央で認められている。円空は、中央で認められなかった。地方の人に愛されたんです。」

「奇人というのはいいことですよ。芸術家は奇人でないと、私、信用しません。学者でも本当の学者は奇人です。政治家の奇人・変人は困りものですが(笑)、芸術家は奇人でないと、いい着想が出てこない。

金や名誉にあくせくしているのは普通の人、俗人です。

『近世畸人伝』で奇人というのは、金や名誉にあくせくしないで、ひたすら真理を追求する人、道徳をきちんと守る人、美に夢中になってる人。そういう人を奇人と言っています。」  以上、抜粋。

まあ、著者の梅原氏もどちらかというと変った人だけども…。

私の場合は、なかなか「奇人」にはなれなくて、なにせ育ちがいいものだから、「貴人」になってしまう・・・(書いていて、虚しい…、笑)

“ひたすら真理を追求する人、美に夢中になってる人” には、千住真理子さん、千住博さんにはピッタリハマル感じがする。

今日は、もう1冊『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』金森修著 筑摩書房 を読んだ。

メアリー・マローン(女性)というアイルランド系移民(米国)の料理人が、1900年初頭に、「腸チフスの健康保菌者」として、23年以上もの間ノース・ブラザー島という小島に隔離された、人種差別も含む悲劇の人生実話。

読みながら、日本のハンセン病の場合はもっと悲惨だなと思った。

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